昔の人はどれくらい生きていたんだろうと思い、ふとした本から意外な事実がわかりました。
紀元前11世紀~1世紀「縄文時代」の日本人の寿命は男女とも、14.6歳だったそうです。
驚きですよね、今で言う中学2年生でこの世から去るんですから考えられないですよね。
そこから1000年以上の時間が流れ 時は江戸時代1603~1867 頃には平均寿命が倍の28歳前後まで延びて行ったそうです。
しかし、それでも28歳です、今の平均寿命と比べると150年前でもそんなものなのかと
思ってしまいます。
では、いったいこの150年余りでなぜここまで平均寿命が延びたのでしょうか、それはタイトルの大正10年に深く関わりがあることがわかりました。
そう大正10年!それは正しく世界一長寿国と言われるまで寿命を延ばした革命的な出来事の始まりの年でもありました。
その謎を解くには第一次世界大戦下のシベリア出兵と水道水から始まります。
もともと日本の水道ができあがったのが明治なのですが、それ以前ヨーロッパでは、ドイツ人コッホが感染症の原因でもある細菌(炭そ菌、結核菌、コレラ)などを発見し世界に衝撃を与えていました。そのコッホに師事していたのが北里柴三郎でもあり、後に「コッホ研究所」が設立されそこへ自費で研究しにいったのが今回のキーマンでもある後藤新平となる人物であります。
大正7年(1918)シベリア出兵が開始されます。それに際し、程谷曹達工場(現・保土谷化学工業)で陸軍から毒ガス製造を依頼され、液体塩素を作っていたそうです。
しかしシベリア出兵が思いのほかわずか3年余りで撤兵となり、その液体塩素を何とか民間で使えないかと考え出したのが先ほどの後藤新平であります。
彼はコッホ研究所医学博士号を取得し、外務大臣の職に付き、大臣時代にシベリアで液体塩素と出会っているのです。彼は後の大正9年東京市長となっています。
細菌学の博士が東京市長ですよ!
おわかりの通り、翌年大正10年から水道水に塩素を入れ殺菌された水道水が各家庭に行き届くようになりました。それまで16人に1人の割合で新生児が亡くなっていたのが、一気に減りはじめす。こうして東京を皮切りに各都道府県に水道水の塩素殺菌が始まって行くのです。
日本はこのようにして長寿大国となり タイトルの通り「バンザーイ」となるわけですが、実はそうでもない事が、現代医学で解明されて来ました。
続きは次号にて
参照:竹村公太郎著『日本文明の謎を解』」(清流出版,2003年)
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